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【アニメ】伝説の最終回 School Daysの評価と感想、考察

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アニメ
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アニメの概要

原作は2005年に18禁恋愛アドベンチャーゲームとして発売、2010年にティー・エヌ・ケーよりアニメ化。監督は元永慶太郎で代表作は『ヨルムンガンド』など。最終回は伝説となっており、あまりの陰惨なエンディングに放送中止になってしまった。代わりに放送されたボートの映像から「Nice boat.」というネットスラングが生まれたことも一部の界隈では有名。

感想、評価★★★★☆

最終回、そして伝説へ

School Days 第12話より

放送休止となった壮絶な最終回はあまりに有名であり、それだけでSchool Daysを見る価値はある。醜悪なキャラクター(見目は麗しい)による、結末に至るまでの過程も最終回を盛り上げる。ただ、主人公の誠がなぜ作中のような狂ったようなふるまいをしたのかを考えるとより楽しめる。

考察:誠と世界は悪くない

私は、誠や世界を過度に責めるべきではないと考えている。惨劇の原因は当人だけではない。そのため、心理分析から誠や世界を弁護をした後、真の主たる原因を述べる。

誠の心理変化

誠に心理の変化ポイントは大きく3段階ある。第1に「言葉から世界に乗り換えたところ」、第2に「加藤乙女と肉体関係を持つところ」、第3に「みんなの誠になるところ」だ。

なぜ言葉から世界に乗り換えたのか

誠は「恋愛関係」≒「性行為」という思春期特有の思考だったからだ。誠は肉体的なつながりを、言葉は精神的なつながりを求めていた。例えば、誠は付き合い始めた直後からキスやそれ以上を言葉に求めている。一方、言葉は誠と同じケータイを持とうするなど。誠と言葉の付き合いはすれ違いが続く。しかし、悩む誠の前に気軽に肉体的な関係を結べる世界が現れたため、世界に乗り換えてしまった。

なぜ乙女と肉体関係を持ったのか

気楽に欲望を満たせる世界との関係を、刹那が変えてしまったからだ。刹那は、海外へ旅立つ自分の代わりに、世界を支えてほしいと誠に迫る。この時、誠にとっての世界が「無責任な存在」から「責任がある存在」になってしまったのだ。しかし、悩む誠の前に責任から逃れられる乙女が現れたため、乙女と肉体関係を持ってしまった。

なぜみんなの誠になったのか

本来、言葉との付き合いの時に反省されるべきだった、間違った「恋愛関係」に対する認識が正されなかったからだ。世界や乙女によって、改められるどころか助長させていく。この点では誠も被害者と言えるだろう。彼女らによって、誠は「肉体関係を結ぶことが男女関係のあるべき姿だ」を考えた。

世界の気持ち

School Days 第12話より

世界は最初から誠のことが好きだった。最終話で世界の心理が比喩的に描かれるが、言葉を口実に誠と距離を縮めたかっただけ。やり方が少しばかり間違っていただけなのだ。

怪物が生まれた真の原因

結論から言えば、「社会性の欠如」が原因だ。たしかに、誠は間違った認識のまま、無責任に関係を結んでいく。しかし、本来は主人公たちが誤った道を歩んでいる時、正しく導く存在が居なければならない。現実世界だと親や先生だろうか、他のアニメだと先輩や親友などが担うことが多い。ところが、『School Days』では不自然なまでにそういった存在が居ない。大人はほとんど話に関わらない上に、学校の友人たちはむしろ事態を悪化させる方向に動く。直接は誠と関係がないが、女子バスケ部の先輩に至っては娯楽のために犯罪行為にまで手を出す。そのため、誠という怪物が生まれてしまった。

まとめ

結局、導く者の居ない間違った世界で、思春期丸出しの主人公「誠」、恋する女の子「世界」に、自分の欲望に正直な「刹那」「乙女」、そして男との付き合いが未熟な「言葉」というキャラクターによる、起こるべくして起きた結果だろう。誠が世界が悪いというのは簡単だ。しかし、悪者を探して終わりではなく、歪んだ世界にも目を向けてはどうだろうか。

現実世界の、例えば仕事などでトラブルが発生した時、誰々がミスしたからだという結論になりがちだが、人をミスさせるシステムが悪いという視点も大事だと考えている。つまるところ、歪んでいるのは人ではなく、その人を生んだ環境なのだ。

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