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【小説】「おい地獄さ行ぐんだで!」蟹工船に込められた意味とは

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小説
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概要

『蟹工船』は1929年に発表されたプロレタリア文学の代表作で、小林多喜二の小説である。第一次世界大戦が1910年代、第二次世界大戦が1940年頃であり、丁度その間の時代になる。時代としては、第一次世界大戦の戦争特需の反動で、日本はが不況に喘いでいた頃になる。

作者の小林多喜二は、本作発表の4年後に特別高等警察による拷問で死亡した。当時の体制に真っ向から批判する文学を度々発表していたためだ。この事実は言論の自由について考えさせられるだろう。

解説

プロレタリア文学について

プロレタリアとは労働者階級のことで、資本階級を意味するブルジョアの対義語になる。日本におけるプロレタリア文学とは、プロレタリア階級が、ブルジョア階級との階級闘争により革命を目指すという内容の文学だ。ただし、書き手は労働階級ではなく、資本階級が担っていることも多かった。

蟹工船について

蟹工船とは蟹を採って加工する船で、「工船であって、航船でも工場でもない」という理屈で法の網目を抜けて、過酷な労働をさせる船として描かれている。冒頭の「おい地獄さ行ぐんだで!」の「地獄」は蟹工船の労働環境を示している訳だ。なお、架空の船ではなく、実在した船だった。

感想と考察

なぜ労働者は苦しいのか

なぜ労働者は苦しいかというと、国(権力)は資本階級の味方だからだ。作中、労働者たちはストライキを実行するが、最終的に軍隊によって鎮圧させられてしまう。国は資本階級の甘い汁を吸って、資本階級は国の威を借りている。持ちつ持たれつの関係で、決して労働者を保護してくれるわけではない。

労働者が苦しみから開放されるには

では、その苦しみから開放されるにはどうすればいいかと言うと、戦うしか無い。『蟹工船』では、偶然、社会主義的な思想の人間と労働者たちが交流する。そこで、労働者たちは、自らの苦難の原因や逃れる術を知る。そして、少数の資本家階級に対して、労働者は大勢いるため、恐れることはないと最終的にストライキを決断するのだ。

作中の最初のストライキは先述のように失敗する。しかし、失敗の原因を理解した労働者たちは、諦めずに2度目以降のストライキを行い、小説は成功したことを示唆する文章によって終わる。

無知なる労働者

「無知な労働者」に知恵を与えて奮起させることが本作のテーマだ。労働者はなぜ虐げられているかを知らないため、資本階級に食い物にされていくばかりだ。挙句の果てには、弱者が弱者を苛めるような構図さえ登場する。小林多喜二は「なぜ労働者が苦しいのか」「労働者の苦しみからの開放されるには」どうすれば良いかを教えてくれているのだ。

まとめ

『蟹工船』ではストライキは弾圧されているが、現代では労働者の権利で定められている。海外で実行されたというニュースを時々耳にする。しかし、日本では一般的ではなく、「戦う」といっても戸惑うと思う。しかし、集団で戦うことは難しくても、個人で実行可能なことはあるのではないだろうか。今の職場に不満があるのならば転職する、もしくは転職に向けて資格の勉強をする、同じ職場でも環境を変えられるよう努力するなど。

一番悔しいのは、苦境を我慢して受け入れてしまうことだ。私も、不満ばかり述べて何も実行出来ていないこともあるので猛省する。不満な部分は、できる範囲で「戦って」行こうと感じた。

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